ブックタイトルHO2.vol118

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概要

HO2.vol118

 2016年10月15日、マツダスタジアムは最高の盛り上がりを見せていた。CSファイナルステージ第4戦 広島カープ 対 横浜DeNA。ここまでカープの2勝1敗。この試合にカープが勝てば25年ぶりの日本シリーズ進出だ。その熱気あふれるバックネット裏のスタンドに田中安信(仮名)はいた。白髪頭にカープの真っ赤な帽子を深々とかぶり、感無量と言わんばかりの顔つきで精一杯の声援を送っている。隣には長男の友典(仮名)と長女の礼子(仮名)が、カープのユニフォームに身を包み「それ行けカープ」を大合唱していた。 高校まで広島で過ごした安信は筋金入りのカープファン。当然その子供たちも安信の影響を受けないわけはなく、立派なカープ信者に成長していた。そんな安信にとって連夜の逆転劇を繰り広げた2016年のペナントレースは格別だったに違いない。そして見事、9回裏DeNAの攻撃、最後の打者を空振り三振に打ち取り、親子三人で抱き合って喜んだ瞬間は、人生最高の時間として記憶に刻まれたに違いない。 カープの絶好調とは裏腹に、72歳になる安信の身体は病との戦いで劣勢を強いられていた。一年前に受けた健康診断で胸腺癌と診断され、抗癌剤治療を継続していたのだ。カープが2016年日本シリーズで日本ハムに惜敗し、リベンジを誓った2017年のペナントレースを激走している7月、安信は余命三ヶ月の宣告を受けた。この年もカープは絶好調。優勝をもう一度見たいと願いながら闘病生活を送っているある日、家族ぐるみの付き合いをしている友人から「遺言」を薦められる。遺された家族が円満に生活できるよう道筋をつけておくのが、主としての最後の役割なのだと。 その後、カープはリーグ連覇を達成。しかし安信は、その歓喜の瞬間を見ることなく息を引き取った。 葬儀から三日後、安信の妻伸子(仮名)は子供たちを自宅に招き、「公正証書遺言」の存在を告げた。安信は亡くなる一ヶ月前、友人に紹介された司法書士事務所を訪ね、遺言書作成について相談していたのだ。 子供たちは伸子に促され遺言の内容を目で追った。『土地と建物は友典に・・・『預金は伸子と礼子で・・・ そして、最後の「付言事項」という項目に目がとまる。『(付言事項)  私は、永年にわたり苦楽を共にし、いつも私に尽くしてくれた妻に感謝しています。子供たちもそれぞれ幸せな家庭を築いてくれて安心しています。私の遺産相続が円満にいくことを切に願い、この遺言書を作成しました。これからも家族で協力し合い、仲良く平和な日々を過ごして下さい。素晴らしい家族に恵まれたこと、心から感謝しています。 そして最後に一つ。友典、礼子、広島カープをお前たちにまかせる。二人でしっかり協力して応援していくように。カープが大好きだった父より』 遺言を読む二人の目からは涙があふれていた。 その日、安信は妻に付き添われ司法書士事務所を訪問し、遺言の説明を受けていた。最初は浮かない顔で受け答えをしていた安信だったが、ふとしたきっかけで野球の話になると、前日も逆転勝ちしたカープのこと、家族はみんなカープファンであることなどを意気揚々と語り始めた。ほぼ聞き手に回ってしまった司法書士ではあったが、カープの存在が安信の人生を明るく照らしていること、そしてカープでつながる親子の関係をとても大切にしていることを強く感じ取っていた。「遺言は公証役場で公正証書にしておくのがよいと思います。当事務所ではその文案作りをお手伝いさせていただきますね。遺言には『付言事項』を加えてみたらどうでしょうか」「なんですか『付言事項』って?」「『付言事項』というのは、法定された遺言事項に書き添える文章です。法的拘束力はありませんが、家族に対する遺言者の思いを自由に書くことができるんです。安信さんの家族はカープで一つになっている。そうですよね?  であれば何かカープのことを書いてみたらどうかなと思って」「そんなことができるんですか?  書いてみようかな」 安信は子供のような無邪気な笑顔を見せた。自分が死んでも家族とはカープでつながっているんだ。遺言書作成という何かもの悲しい作業の中に、ずっと家族は一つであるという人生最後の希望を感じることができたのだ。 司法書士業務は定型化できる部分も確かに多い。ただ、もう一手間かけることによって、依頼者の心に明かりが灯されることもある。受任した業務の中に、未来への希望を落とし込む作業、それが司法書士業務における『付言』なのかもしれない。 カープを託された子供たちが、ますます熱くカープを応援し、そして応援のたびに父を思い出していることは言うまでもない。遺言に未来への希望を託す「付言事項」が家族の絆を確かなものに遺言と広島カープ掛川支部 桑原 淑浩事件簿より27 vol.118 ホーツーあなたに寄り添う法律家静岡県司法書士会